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薬師寺東京別院執事の法話ーその2

11月24日に「薬師寺東京別院 宝物特別公開」に行った時に、執事から法話を聞いた。
この執事からの法話を聞くのは4月以来2度目である(1回目 http://macsan.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_744.html 参照)。

法話の大意:仏教用語に「愚鈍身歓宿縁」という言葉がある。「ぐどん なる み なれど やどっている えん を よろこぶ」と読むのだそうだ。
現代では「縁」の読み方として「えん」、「ゆかり」、「ふち」、「えにし」があるが、奈良時代には「ことのはじめ」と読んでいた。
「縁」を開ける(何かを解決するために踏み出す)ためには「覚悟」が必要である。「覚悟」とは自分の心が解ることである。
お経には「覚悟」という言葉はあるが、「本気」とか「決心」という言葉はない。「本気」の「気」は「気変わり」するし、「決心」の「心」は「心変わり」するが、「覚悟」の「悟」は変わらない。
従って、「愚鈍身歓宿縁」という言葉の大意(私見)は「自分はちっぽけな人間だが、自分で覚悟して踏み出す力を持っていることに感謝する」と言ったところかな。
覚悟を持って踏み出すことを仏教用語では「勤行」と言うのだそうだ。
また、「運命」と言う言葉があるが、「命」を「運」ぶ自分が覚悟をして行えば良い結果になる。
仏教用語に「静思(じょうし)」と言う言葉がある。この意味は「損得を側に置いて、物を良く見て、人の話を良く聞く」ことだそうだ。そうすることにより「節度」(くぎり)を持って自分の「度(物差し)」を高めることが出来る。
大人と子供の違いは後悔の量である。
「後悔」や「迷い」をせずに過ごすためには「自分がどんな生き方をするか」覚悟することである。
なお、「迷い」とは十字路の交差点でどっちに行ったら良いかと決めかねている状態とのこと。
「宗教」の「宗」は「心の背骨」という意味だそうだ。従って、「宗教」の大意(私見)は「人生を生きていく時の真理または道理の根幹をなすもの」と言ったところなのかな。

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