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市川真間大門通りの万葉歌パネル

手児奈(てこな)霊堂や真間山弘法(くぼう)寺へ向かう道の家の塀に万葉歌のパネルが掲示されている。この近辺は昔「真間の入江」になっていて「真間の継橋」があり万葉歌に詠われていること、高橋虫麻呂や山部赤人が手児奈霊堂を訪れ長歌と短歌を詠んでいることなどから、万葉歌に縁が深いということで万葉歌のパネルを掲示したのではないかと思う。

私が気が付いた万葉歌パネルは23パネルで25和歌がかざられていた。
葛飾の真間に関わる歌とそうでない歌とが混在していた。
1.葛飾の真間に関わる歌をセレクトした。
Photo_3
写真のような万葉和歌に出てくる「真間の継橋」があった。
真間は入江だったようで、そこに架かる橋でここにある橋は小さいので、ミニチュアなのか、このような橋が沢山架かっていたのかはわからない。 
万葉集には「足(あ)の音せず 行かむ駒もか 葛飾の 真間の継橋や まず通わむ」(巻14-3387)とある。
143387 この橋の側に文字が読みにくい歌碑がある。読める言葉は「阿」(足の「あ」かな)、「行かむ」、「葛飾乃」、「真間の継橋や まずかよ・・・・」とあるので、上の万葉歌の歌碑で間違いなさそうだ。     
10143394338433853387 パネルでは巻14の東歌から4和歌が万葉かなで書いてあるパネルがある。
以下に現代語を載せるがこれを見ると万葉かなも読める。
①葛飾の 真間の浦廻を 漕ぐ船の 船人騒ぐ 波立つらしも(巻14-3349)
②葛飾の 真間の手児奈を まことかも われに寄すとふ 真間の手児奈を(巻14-3384)
③葛飾の 真間の手児奈が ありしばか 真間の磯辺に 波もとどろに(巻14-3385)
④足の音せず 行かむ駒もが 葛飾の 真間の継橋や まず通はむ(巻14-3387)
163432_4 山部赤人が手児奈霊堂を訪れた時に詠った歌。
われも見つ 人にも告げむ 葛飾の 真間の手児奈が 奥つ城処(巻3-432)
手児奈を思い人に伝えようと心に強く思った雰囲気が伝わってくる。
203433山部赤人が「真間の入江」を訪れた時の歌。
葛飾の 真間の入江に うちなびく 玉藻刈りけむ 手児奈し 思ほゆ(巻3-433)
海の中の藻が揺れ動くさまを見て入水した手児奈の髪がなびいているように感じたのだろう。山部赤人の感性が素晴らしい。
2191808高橋虫麻呂が「真間の井」(国府台駅近くの亀井院に歌碑があるようだ)を訪れた時に詠ったもの。
勝鹿の 真間の井を見れば 立ち平し 水汲ましけむ 手児奈し思ほゆ(巻9-1808)
2.市川真間に関係ない万葉歌パネル
24488額田王の歌。
君待つと わが恋ひをれば わが屋戸の すだれ動かし 秋の風吹く(巻4-488)
恋人をまだかまだかと待っていて耳をそばだてている様子が歌われている。繊細な神経を持った女性を感性豊かに描いている。
45803山上憶良の歌。
銀も 金も玉も 何せむに 勝れる宝 子に及かめやも(巻5-803)
どんな財宝よりも子供に敵うものはないと詠った山上憶良。
確かに正論だ。今で言う「社会派歌人」と言ったところか。
781424 山部赤人の歌。
春の野に すみれ摘みにと 来しわれそ 野をなつかしみ 一夜寝にける(巻8-1424)
すみれ畑の中で心が静まりつい寝てしまい一夜を過ぎしてしまった様子。自然と人とのかかわりを上手に詠っている。
11102119 詠み人不詳。
恋しくは 形見にせよと わが背子が 植ゑし秋萩 花咲きにけり(巻10-2119)
会えない恋人を思い、咲いた萩の花を見て心を和ますなんと悲しくもあり可憐な歌なのだろう。
12164 志貴皇子の歌。
葦辺行く 鴨の羽がひに 霜降りて 寒き夕へは 大和し思ほゆ(巻1-64)
早く都へ帰りたいという気持ちを鴨への観察によって表わした歌で志貴の皇子の感性のすばらしさを感じる。
これらのパネルのほかにもすばらしい万葉歌が掲げられているが、紙面の都合で割愛した。
万葉集に興味のある人はぜひ訪れてみて下さい。・ 
 

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市川真間手児奈霊堂訪問

以前から万葉歌碑を訪ねて奈良、鳥取、島根、福岡、大分、さいたま市などを巡っている。前々から市川市にある真間手児奈霊堂を訪ねたいと思っていた。美しいがゆえに多くの男性から求婚され、男性間の争いに悩み、入り江に身を投じた「手児奈」を詠った万葉歌があったからだ。

Photo Photo_2写真は「手児奈霊堂」の歌碑と「本堂」。
高橋虫麻呂は長歌と反歌で次のように詠っている。
長歌:「鶏が鳴く 吾妻の国に 古に ありける事と 今迄に 絶えず言い来る 勝鹿の 真間の手児奈が 麻布に 青衿着け 直に麻を 裳には織り着て 髪だにも 掻きは梳くらず 履をだに 穿かず行けども 錦綾の 中につつめる 斎児を 妹に如かめや 望月の 満れる面わに 花の如 笑み立てれば 夏蟲の 火に入るが如 水門入に 船漕ぐ如く 行きかぐれ 人のいふ時 いくばくも 生けろじものを 何すかと 身をたな知りて 波の音の 騒ぐ湊の 奥津城に 妹が臥やせる 遠き世に ありける事を 昨日しも 見けむが如も 思ほゆるかも」(巻9-1807)。
高橋虫麻呂は手児奈の言い伝えを知っていたようで、手児奈に関し、「貧しい身なりで裸足で髪も梳かしていなくても着飾った子でも及ばない。満月のような顔で花のような笑みをたたえると男どもは群来りて声をかけた。手児奈は自分の運命を知り、波の音が聞こえる墓に眠ることとなった。昔のことだが、昨日のように思える」と詠った。
また国府台駅の亀井院にある「真間の井」を訪れ次の反歌を詠っている。
反歌:「勝鹿の 真間の井を見れば 立ち平し 水汲ましけむ 手児奈し 思ほゆ」(巻9-1808)。
高橋虫麻呂は「真間の井を見ると水を汲みに来た手児奈を思い浮かべる」と心情を詠っている。亀井院にはこの歌の歌碑があるそうなのでいつか行ってみたいと思う。
163432_3 山部赤人も手児奈霊堂を訪れ長歌と反歌を詠っている。
長歌:「古に 在りけむ人の 倭文幡の 帯解きかえて 伏屋立て 妻問しけむ 葛飾の 真間の手児名が 奥つ城を こことは聞けど 真木の葉や 茂りたるらむ 松が根や 遠く久しき 言のみも 名のみもわれは 忘らゆましじ」(巻3-431)。
山部赤人が訪れた時には「手児奈の墓はここにあると聞いたが、真木の葉が茂ったのか、松の根のように時が遠くに過ぎたのだろうか。言い伝えや名前だけでも言い伝えよう」と墓は見つからなかったようだ。
反歌:「われも見つ 人にも告げむ 葛飾の 真間の手児奈が 奥津城處」(巻3-432)。
「手児奈の墓があった場所(上の長歌で墓は見つからないと詠っている)は見たので伝えよう」と詠ったのだろう。
「葛飾の 真間の入江に うちなびく 玉藻刈りけむ 手児名し 思ほゆ」(巻3-433)。
「真間の入江」を訪れ「海中に靡いている玉藻を刈ったであろう手児奈を思い浮かべる」と手児奈を愛おしむ心情を詠んでいる。
手児奈霊堂では万葉歌碑は見つからなかったが真間弘法(ぐほう)寺に向かう大門通りの家の壁には万葉歌のパネルが掲示されていた。
これに関しては別記事で投稿する。 

続きを読む "市川真間手児奈霊堂訪問"

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さいたま市岩槻区にある万葉歌碑

6年前にさいたま市岩槻区の個人宅にある万葉歌碑を見に行ったが整地されていて残念ながら見つけられなかった。今年の1月2日に土地を整地したという方から「現在歌碑は屋敷跡の近くに祭ってあります。機会がありましたらお訪ねください」という投稿があった。今日、行ってみた。場所はサッカー場の近くで区画整理中のため付近には家がなく、正月でもあるので尋ねる人もいなかった。ちょっと離れた家の門のところに女の人が居たので万葉歌碑を探していると言ったら、隣の家の敷地にあると教えてくれた。全く偶然でラッキーだった。歌碑は以前にあった場所から移したとのこと。

家の人に許可をもらって写真を撮ってきた。
1h2714_2 小さな鳥居の向こう側に二つの石碑があった。
右側が万葉集巻9-1744の虫麻呂の和歌だった。


5h2714_2 万葉かなで「前玉之 小埼乃沼爾 鴨曽翼霧 己尾爾 零置流霜乎 掃等爾有斯」と書いてあった。
読み方は「埼玉の 小埼の沼に 鴨そ翼霧る 己が尾に 降り置ける霜を 払ふとにあらし」で意訳は「埼玉の小埼という沼で鴨が羽根を振っている。尾についた霜を払い落とそうとしている」。
「小埼沼」は諸説あるが行田市付近というのが通説らしい。従って、この付近が虫麻呂が詠った場所ではないようだ。


H2714写真の左の石碑は温故碑で年月が経っているので読みにくいが万葉歌碑を建てた由来が記されているようだ。
今回、古い記事を関係のある方が見てくれたことに驚くとともに何かの縁と思い訊ねてみた。
また、偶然にも隣の女性に会い、歌碑のある場所を見つけることが出来た。
投稿をしていただいた「屋敷を整地した」方、ありがとうございました。

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全国介護相談活動報告会

H241127 平成24年11月27日(火)13:00~17:30に「平成24年度全国介護相談活動事例報告会」に出席した。
参加者数は700名前後のようだった。
来賓挨拶で厚労省老健局長の原 勝則 氏(今年の9月に就任)から、今後、新しい施策である居宅サービスの努力義務、地域包括ケア、権利擁護の推進に力を入れるとの話があった。
その後、5期10年以上の永年活動者224名の表彰が行われた。
川口市からは元の会社のOBで営業の小野猛四郎さん(11年間)と女性1名が表彰された。
基調講演は公益財団法人さわやか福祉財団理事長の堀田 力 
氏から介護の理念や目的、基準となる「尊厳の保持(人間として暮らせることとその人らしい行動を支える)」と「自立支援(自分で出来ることを支援する)」についての話があった。
パネルデイスカッションでは特養を主に「多床室型」から「個室ユニット型」への移行状況と移行阻害要因や地域社会との共同方式などが議論された。
厚労省老健局高齢者支援課長の深澤典宏 氏から現状と今後の方向性についての説明があった。
やむをえない場合には「多床室型」も認めるが、「個室ユニット化」を推進することが望ましいと通達しているが、例外として「多床室型」も認める条例を作成した自治体が多い。
そのため、平成26年までに特養入所者の70%以上を「個室ユニット型」に移行する目標を達成することは難しい状況とのこと(現状は25%位)。
課題としては「介護報酬の改定と利用者の負担軽減を行っていること」が十分に理解されていないので周知策が必要とのこと。
札幌市介護保険担当部長の館石宗隆 氏からは、札幌市の条令は「個室ユニット型」のみにして推進しているとの話があった(「個室ユニット型」の定員数の比率がH23年27%⇒H24年34%)と「個室ユニット型」が増加)。
事業者側からは平成園施設長の栗林孝得 氏から自称「既存改修型ユニット」による対応や地域包括支援の必要性などの話があった。
こぶし園総合施設長の小山 剛 氏からは施設の「サテライト」化による対応状況や「地域社会がひとつの施設・病院」という今後のあるべき姿の話や在宅の24時間、365日の介護看護、3食365日の配食の実施事例の話が合った。
厚労省老健局高齢者支援課課長補佐の懸上忠寿 氏からは「介護相談員派遣事業のこれから」として相談員派遣事業を充実する必要のある県に対し説明会およびトップセミナーを実施していくとの話があった。
なお、会合のタイトルにあった「介護相談活動事例」に期待して参加したが、来年度にまとめるとのことだったので残念だった。

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町会の「夏祭り」

H24721 平成24年7月21日(土)に町会の第30回「夏祭り」を行った。
朝、8時30分から15日(日)に組み立てた櫓の飾りつけと出店のテント張りや準備を行ったが、昨年と比べ気温が低かったので作業は楽だった。
今年も「飲み物」を担当した。
14:00頃に業者が生ビールとラムネや紅茶や緑茶のペットボトルを運んで来たので設営とビールサーバー2台の操作方法や注意事項を聞いた。
18:00から店や踊りが始まったが、当初は子供たちがラムネを買いに集まった。
気温が低かったので生ビールの売れ行きを心配したが、祭りが盛り上がるとともにビールの売れ行きも上がり、21:00終了前には完売した。

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町会「もちつき大会」

H24122 平成24年1月22日(日)11:00から恒例の「子供とのふれあい」を目的に「班」(町会)の「餅つき大会」を行った。
そのために前日の15:00から、役員20名位が出て「餅」用の80kgのもち米を研いだり、「おこわ」用の20kgのもち米の味付けなどの作業を行った。
副班長が「やきいも」を焼いていて参加者に配った。
H24122_2H24122_3  大会当日は8:00に役員約50名が集まり、プロパンガス3台の設置、もち米を蒸す場所のテント張り(左の写真)、「大根おろし」、「きな粉」、「あんこ」の準備や「おこわ」、餅(「辛み餅」、「きな粉餅」、「あんこ餅」)をパックに詰める作業場のテント張り(右の写真)、来客用のテント張りなどを行った。
11:00にもちつきを開始したが、「おこわ」を蒸すのに時間がかかり、2台の臼は時間が空いてしまった。
Photo 「おこわ」が完了した後からは、餅用のもち米も順調に蒸しあがり、多くの子供たちが集まり、小さい子供には役員が杵に手を添えて一緒に「もちつき」を行った(写真は皆さんが持ち帰ったパック)。
母親がその様子を写真に撮っていた。
子供たちは初めての経験なので喜んでいた。
小学校の校長や先生たちも「もちつき」を行い、生徒から喝采を得ていた。
また、いつも町内のイベントに参加してくれる不動産会社の社長、社員数名も手伝いに参加したり「もちつき」を行ったりしてくれた。
終了は13:00頃で役員が集まりビールや酒を飲みながら「おこわ」や「餅」を食べながらご苦労さん会を行った。
班では「もちつき」の他に月2回の「ゴミ拾い」、月1回の「資源回収」などを行っていて、多くの役員が参加している。
町会の絆の深さを感じる。


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東金市「赤人塚」、「法光寺」訪問

平成24年1月15日(日)の午前中に東金市田中にある山部赤人の塚である「赤人塚」と「山辺赤人坐像」がある「法光寺」を訪れた。
インターネットで地図を印刷していったが、現地近くで何の表示もないために、同じ道を行ったり来たりしてしまった。
家の前に居た男性に「赤人塚」の所在地を尋ねたら、「田圃の中の農道に碑が建っているので、それかも知れない」とのことだったので、行ってみた。
H24115 舗装された農道の脇に「赤人塚」(左の写真)が建っていた。
平成8年に建てたようだが、碑の文字が良く見えなかった。
しかし、碑の漢字から山部赤人の最も有名な「田兒之浦 打出而見者 真白衣 不盡能高嶺尓 雪波零家留」(万葉集 巻3-318)であることが解った。すなわち「田児の浦ゆ うち出て見れば 真白にそ 不尽の高嶺に 雪は降りける」(中西 進「万葉集」から)である。
この歌が詠まれた場所は静岡県の蒲原あたりというのが現在の通説であるのに、なぜこの地にこの歌碑があるのか。
江戸時代後期の学者が「山部赤人は上総山辺郡生まれなので、安房園田児の浦(現在の田子台の下の海)で詠んだものだ」という説に基づくようだ。
H24115_2 次に「山辺赤人坐像」(秘宝で公開しないのでhttp://www.city.togane.chiba.jp/bunka/12.html参照)があるという「法光寺」を訪ねた。
遠くから見ると赤い急勾配の屋根のお寺であった(付近にはいくつかの寺があったが、同じような急勾配の赤屋根が多かった)。
歴史的には上総国土気の城主の酒井定隆が1488年に行った宗教改革で法華宗に改宗したとのことなのでかなり古いお寺である。現在は日蓮宗に所属しているようだ。
Photo 本堂の手前に「山辺赤人坐像」と「閻魔王坐像」の説明板が建っていた。
「山辺赤人坐像」は1804年から1817年の作といわれ、像高18.1cmの檜の一木彫りで東金市の有形文化財とのこと。
「閻魔王坐像」は室町時代の作で像高66cmの杉の木の寄木造りとのこと。
何時の日か公開されることを期待して立ち去った。

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尾瀬の「草もみじ」鑑賞旅行

Photo 平成23年10月11日(火)にテニス仲間の3夫婦で尾瀬国立公園「尾瀬ヶ原」の「草もみじ」を観に行った。
前日の午後にテニスをして泊っていた尾瀬戸倉温泉の旅館「みゆき」に8:00に迎えに来た片品観光タクシーバスで「鳩待峠」まで行った。約30分位であったろうか。
Photo_2 「鳩待峠」から「行きは良いよい 帰りはこわい」と思いながら階段状の石段や木道を下って行った。
足元から目を離せないので、時々立ち止まって周りを見渡すと木々は紅葉の真っ最中で、とても奇麗だった。
Photo_3 何回か休憩を取りながら「山の鼻」につきトイレ休憩を取った(トイレ利用は100円)。
3連休の後のせいかあまり混雑はしていなかった。
「尾瀬ヶ原」方向に平坦な木道を歩いて行った。
所々で木道の修復作業を行っていた。修復用の分厚く重そうな木材はヘリコプターで運搬されているようで、木材を吊るしたヘリコプターが何回も飛んでいた。
Photo_4 しばらく進むと「草もみじ」が見えて来た。
「尾瀬ヶ原」の湿原一面が褐色や黄色の草で埋まっていた(色の表現が難しいので、ご自分の目で観ることをお勧めする)。
タクシーバスの運転手の話では、今年は9月中旬が真っ盛りで、今は終わりになっているとのことだったが、初めて見る「草もみじ」であったので感動した。
Photo_5 「尾瀬ヶ原」に入った時には後ろの「至仏山」や前方の「燧岳」の山頂は雲の中だったが「牛首」を過ぎて「竜宮小屋」に向かう頃には雲も無くなり山頂がはっきりと見えるようになった。
Photo_6 広々とした「草もみじ」の遠方に雄大な「燧岳」がどっかりと居座っている光景を見ると心が落ち着くような気がした。
時々吹く風が少し汗ばんだ顔を拭いて行くのが気持ち良かった。
Photo_7 「燧岳」を見ながら「竜宮小屋」を目ざして歩を進めたので思ったより短い時間で「竜宮小屋」に着いた。
小屋の外のテーブルで旅館で用意してくれたおむすび、ゆで卵などを食べた。
後ろの若い女性たちはビールで乾杯をしていた。目が合うと愛らしい笑顔を見せてくれた。
隣のカップルはコッヘル持参でコーヒーを飲んだ。
香ばしい匂いを頂いた。
トイレを済まして今来た道を戻った。
すれ違う人々と「今日は!」と声を交わしながら進んだ。初老のご夫人が「帰る人は皆さんにこにこしていますね」と言っていたが「山の鼻」までは平坦地なので楽だった。
但し、木道が高くなっている所では平衡感覚の衰えか、バランスを崩しそうで怖かった。
「山の鼻」で少休憩を取って「鳩待峠」までのきつい坂道をひいひい言いながら、また何度か立ち止まりながら「鳩待峠」に15:00頃に辿りついた。
来る時に乗った片品観光タクシーバスが待っていてくれたので、それに乗って宿泊先の旅館「みゆき」に15:30頃に着いた。
すぐに温泉に入り足の疲れを癒した。

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納涼盆踊り大会の櫓組み立て

2 平成23年7月17日(日)8:00~10:30に23日(土)に行われる「第29回納涼盆踊り大会」の櫓の組み立て作業が行われた(左の写真は櫓の外枠と1階部分の組み立て作業)。
「盆踊り」は「班」の最大の行事で踊りのほかに焼き鳥、飲み物、金魚すくい、ヨーヨーなどのお店も地域住民が運営する。
今日は朝から気温が高かったが43名の住民と地域内の不動産会社からの4名が作業に当たった(地域の会社として社員を派遣してくれてありがたい)。
Photo 金属回収業者のトラックで他の場所にある倉庫から資材を運搬し、定められた位置に資材を設置し、ボルト締めを行って3階の櫓が完成した(左の写真)。
各人随時、水分補給を行いながら和気あいあいと作業を行ったので予定より30分ほど早く終わった。
例年だと子供などが櫓に登らないようにシートを架けるのだが、明後日あたりに台風が来るかも知れないのでシートは架けずに階段にロープを巻いて登れないようにした。
1階の周りの紅白の幕、2階、3階の飾りは「盆踊り」当日の朝に行う。
その作業と並行してお店のテント張り、お店の準備なども朝から行う。
従って、「盆踊り」当日は班の役員、組長、副組長は8:00から21:30まで長時間の活動となる。
参加者には昼食と夕食が支給される。
小生は飲み物係のリーダーとして8名とともに生ビール、ジュース、ラムネ、お茶の販売を行う。一番、予算規模の大きい係である。
当日の天気が良いことを祈っている。

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埼玉県健康福祉村「万葉植物園ーその3」

その2より続く。
17 ゆずりは(ゆづるは):古(いにしえ)に 戀(こひ)ふる鳥かも 弓絃葉(ゆづるは)の 御井(みゐ)の上より 鳴き渡り行く(巻2-111 弓削皇子 天武天皇の吉野行幸に同行した時に額田王に贈った相聞歌)。
小生の意訳:ゆずりはが繁っている天皇がお使いになる井戸の上を鳴き渡る鳥はあなたを恋していた鳥でしょうか(天皇には逆らえず涙ながらに分かれる心情を詠ったものなのか。「ゆずりは」が「譲る」に思えてくる)。
19 つばき:河のへの つらつら椿 つらつらに 見れども飽(あ)かず 巨勢(こせ)の春野は(巻1-56 春日老 持統天皇が三河に行幸した時の歌)。
小生の意訳:古瀬(奈良県御所市)の春の野を流れる川の辺の椿をいつまで眺めていても飽きない。

20 ひとりしずか(つぎね):つぎねふ 山城道(やましろぢ)を 他夫(ひとつま)の 馬より行くに 己夫(おのづま)し 歩より行けは・・・(巻13-3314の長歌の一部 問答歌十八首の中の一首)。
小生の意訳:ひとりしずかの花が咲く山城道を他の人は馬で行くのに、自分の夫は歩いて行く・・・(妻のやさしい心に泣けてくるね)。
ひのき(写真はボケているので省略):鳴る神の 音のみ聞きし 巻向(まきむく)の 檜原(ひばら)の山を 今日見つるかも(巻7-1092 柿本人麿歌集 山を詠める歌)。
小生の意訳:雷鳴が聞こえるひのきの生えている巻向山を今日眺めているんだ。
22 なつめ:玉箒(たまほうき) 刈り來(こ)鎌麿(かままろ) 室(むろ)の樹と 棗(なつめ)が本(もと)に かき掃(は)かむため(巻16-3830 長意吉麿 意吉麿の八首の中の一首)。
小生の意訳:木となつめの下を掃除したいので、鎌麿よ、玉箒を作る草を刈りとって来いよ。

23 たちばな:橘(たちなな)は 實さへ花さへ その葉さへ 枝(え)に霜降れど いや常葉(とこは)の樹(巻6-1009 聖武天皇 葛城王に橘の姓を与えた時の歌)。
小生の意訳:たちばなは枝に霜が降りても實、花、葉はいつも生き生きしている(「葛城王よ、いつまでも元気で余に仕えよ」と言っているみたいね)。
25 いろはもみじ(かへるで):子持山(こもちやま) 若(わか)鶏冠木(かへるで)の 黄葉(もみ)つまで 寝(ね)もと吾(わ)は思(も)ふ 汝(な)は何(あ)どか思(も)ふ(巻14-3494 作者不明 東歌:群馬県沼田市あたりか)
小生の意訳:子持山のもみじが黄葉するまでおまえと寝ていようと思うが、おまえはどう思う(子持山の「子持ち」と重ねて誘っているところが面白い)。
26 はまおもと(はまゆふ):み熊野の 浦の濱木綿(はまゆふ) 百重(ももへ)なす 心は思(も)へど 直(ただ)に逢(あ)はぬかも(巻4-496 柿本人麿)
小生の意訳:熊野のはまおもとが何重にも重なっているように、あなたを思う心は幾重にも重なっているが、直接にお会いできないのが悲しいですよ。
もうすぐ花が咲き始めるので、今度は花を中心に撮影してきたいと思っている。
以上で埼玉県健康福祉村「万葉植物園」終わり。  

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